コラム

ココロン博士の子育てゼミナール*12月

はいはい、みなさんこんにちは。

さて、みなさんは大みそかやお正月、どんなふうに過ごしておるかな?

子にとっての“大みそか”や“お正月”は、たんなる行事ではなく、将来に影響する特別な記憶となるもの。
宗教か文化かなんてのは関係ない。子が感じ取っているのは、「いつもと違う」。

 

たとえば、

「いつもと違う大人たちの動き」
「いつもと違う、家の中のちょっとした緊張感や緩みといった空気」

一年にたった一度、数えきれない人々が一斉に “終わり” と “始まり” を感じ、一体感に包まれることができるとき。
そして、自分もその集団の中の一員であると実感できる、神聖な瞬間。

この貴重な、一年に一度だけの体験は、

「自分はどこに所属しているのか」
「誰と生きているのか」
「今、ここに生きている」

…そんな感覚を、子が全身で味わい、自分という存在を確かめる機会になっている。

「今年も終わるね」「良いお年を」というしみじみした声、除夜の鐘の音。
「あけましておめでとう」「新しい年が始まるね」という晴れ晴れした声。
「タン♪タララララン♪」と、どこかから流れてくるBGM。
ふだん会わない親せきや、おじいちゃん・おばあちゃんと会う。

年末年始は、「宗教的儀式」ではなく “人生儀式” であり “記憶儀式” 。
にぎやかな正月が恒例の家。静かに落ち着いて過ごす家。それぞれが “その家の文化” 。
毎年恒例の家庭の年末年始がそこにあり、言葉で何かを教えなくても、「いつもと違う」の空気が “生きていることそのもの” を無意識に子に伝えている。

「終わっても、また始まる」
「何かが巡っていく」

この感覚が、子に未来を想像させ、「これからを生きていく」という心の準備をさせる。

「やり直して、スタートを切ることもできる」

という感覚も、そっと染み込んでいく。

人は、誰かに説明されなくても、日常の繰り返しの中から「人生ってこういうふう」を学んでいく。

この “うちの家の感じ” は、子の人生の原点。

たとえば、
「人との距離感の“普通”」
「 “幸せな家庭” のイメージ」
「うちの家ってこうだった」

という記憶は、大人になったときの「自分にとっての幸せを見つけるための参照元」になる。

それは、良し悪しや優劣ではなく “型” 。

「大みそかはこうだった」
「元旦はこう過ごしていた」
「うちの家は…」

こうして記憶に刻まれていく“うちの感じ”が、将来、子が自分の暮らしをつくるときの“種”になる。
「私はこうして育った」という記憶のひとつひとつが、人生観・人間観・家族観の中心になっていく。

年末年始は、「こう過ごさなければいけない」とか、「特別なことをしなければいけない」というものではない。

ただ、知っておきたいのは、日常と少し違う“その時間”は、特に印象深く記憶に刻まれ、一生の過ごし方の軸となる、特別な行事になるということ。
「終わり」と「始まり」の“神聖な感じ”を、子は家庭の空気の中で受け取り、そこから自分の人生を彩っていくイメージの参照元を育んでおるんじゃなぁ。

 

 

2025年12月19日

ココロンはかせの子育てゼミナール

みんなの子育てをココロンはかせが応援!子育てに関するヒントが満載です

カテゴリー

このページの先頭へ戻る