はいはい、みなさんこんにちは。
さて、「家庭では誰も叩かないし、暴力的なテレビも見せていないのに、どうして人を叩くの?」と思ったことはないかな?
攻撃行動は、生物に備わった本能的なもの。
その手段や方法は、モデリング(観察学習)や模倣から学ぶことも多いが、叩く、押す、蹴る、物を投げるといった行動は、言葉や感情の調整がまだ未熟な幼い子にとって、ごく自然な現れ。加えて、攻撃行動のあとには、脳内でドーパミンが分泌され、一時的な高揚感が生じる。
じゃから、子に限らず、攻撃行動の後に人は少しすっきりした表情を見せることがあるが、これが繰り返されると、「気持ちよかった」という“快感”や、「人を思い通りにコントロールできた」といった“成功体験”として脳内に記録され、行動の制御が難しくなってしまう。
このような報酬系のループが形成されてしまうと、しつけや道徳を説いても、なかなか止められないという難しさが問題になってくることもあり、行動はどんどんエスカレートするようになる。
倫理観は、持って生まれてくることはできない。
「暴力はいけない」と倫理的に理解できるようになるのは、4歳後半から5歳ごろ。
それまでは、「怒られるからやめる」といった表面的な判断で行動を抑えるのが精一杯。
「どうして叩いたの!?」と一方的に激高したり、「自分が叩かれたらどう思うの!?」と叩いてしまうと、「暴力はいけない」と言葉で教えながら、「強い立場の者は攻撃したり、叩いたりしてもいい」と、矛盾した教えを説いてしまうことになる。
これは“モデリング”によって、言葉より行動のほうが学習されてしまう典型じゃ。
また、暴力にはすべてが「悪」とは言い切れない側面もあることも、避けられない。
たとえば、誘拐、暴力被害、いじめなど、自分や人の生命を守るための防衛行動として必要なこともある。
では、子が暴力的なことをしたとき、どうすればいいのじゃろう。
まっすぐに見つめる真剣な表情や、真面目な声のトーン、そして毅然としたブレない姿勢で、
「叩くのはだめ。お口で言うよ」「痛い」「そんなことをされたらいやな気持ちになるよ」などと伝える。
そして次の三つをできるだけ具体的に伝える。
① 気持ちを表現するときに、乱暴な行動や暴力を使ってはいけないという原則
(例:「暴力は、人として、してはいけないこと」「本当に自分や人が危険にさらされたときに『自分を守る権利』として許される特別な行動」)
② 叩かれたほうは、どんな気持ちがして、どんな思いをするのかという事実
(例:「叩かれたら痛い、怖い、悲しい、心が傷つく」)
③ 「では、どのようにすればよかったのか」という、具体的で真似をしやすい、代わりの言葉や行動の表現方法の実演
(例:「イヤなときは“イヤ”“やめて”って言うよ」「一生懸命、相手に伝えてもだめだったときは、大人に言おう」など。
その都度、その時に必要なセリフや行動を、たくさん教えていく)
「泣かないで」「泣いてもいいよ」でもなく、ただただそのまま、「よーし、よーし」と温かく受け止める。
表現の禁止も、表現をすることへの強制もしない。
そうすることで、「感情を表現することも、表現をしないことも、自分で決めていい」という安心感を育てる。
そして、日常の中で子の感情に対して、状況に合った適切な名前をつけて言葉にし、共感を返す。「痛かったね」「悲しかったね」「いやだったね」「楽しいね」「おもしろいね」「驚いたね」などと、その子の気持ちに寄り添うことは、倫理観の土台を育てる鍵となる。
生き物には、生きる力として、暴力は本能的に備わっておる。
じゃが、善悪の倫理観は、育てねば育たず、そしてまた、人間にしか育つことができない、統合的な心理的構造でもある。
だからこそ、心は丁寧に育てる必要がある。
まずは、「叩いたら叱られるからやめておこう」と思わせるところから。
そこを出発点として、少しずつ、心を育てていけたらええなぁ。
2025年09月19日
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